口伝民話


ペロー版赤ずきんのモチーフになったであろうフランスの民間伝承『お婆さんの話』は、以下の様な物語である。


『昔、一人の女がパンを焼いて、娘に言った。

「さあ、このあつあつのパンとミルクを一びん、ばあちゃんとこへ届けておくれ」

そこで女の子は出かけ、四つ角のところで狼憑きブズーに出会った。

狼憑きは女の子に言った。

「おい、どこ行くんだい?」

「あつあつのパンとミルクを一びん届けに、ばあちゃんとこへ」

「どっちの道を行くんだい?」

と、狼憑きは訊いた。

「縫い針の道かい? それとも留め針ピンの道かい?」

「縫い針の道よ」

と、女の子は答えた。

「そうかい。じゃあ、俺は留め針の道にしよう」

女の子は道すがら縫い針を集めて遊んでいたが、その間に狼憑きはおばあちゃんの家に着いて、ばあちゃんを殺した。

そして肉を戸棚にしまい、血はびんに入れて棚の上に置いて、ばあちゃんの服を着てベッドに入った。そのうちに、女の子がたどり着いて戸を叩いた。

「押したら開くよ」

と狼憑きは言った。

「濡れた藁一本で、閉じてあるだけだから」

「こんにちは、ばあちゃん。あつあつのパンとミルクを一びん、持ってきたよ」

「戸棚にしまっておくれ。中に肉が入っているからそれをお食べなさい、それから棚の上のワインもお飲み」

女の子が飲んだり食べたりし終わると、側にいた小猫が言った。

「うえーっ、自分のばあちゃんの肉を食べて、血を飲んじまったよ。なんて恐ろしい娘っ子だ!」

「さあ、お前、服を脱いで」

と、狼憑きが言った。

「ここに来て一緒にベッドにお入り」

「脱いだスカーフは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだエプロンは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだシャツは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだスカートは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだペチコートは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだ長靴下は、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

しまいに女の子は裸になって、狼憑きと同じベッドに入った。

「あれー、ばあちゃんって、毛深いんだねえ」

「この方があったかいんだよ、お前」

「あれー、ばあちゃんの爪って、大きいんだねえ」

「この方が体を掻くのにいいんだよ、お前」

「あれー、ばあちゃんの肩って、大きいんだねえ」

「この方が薪を運ぶのにいいんだよ、お前」

「あれー、ばあちゃんの耳って、大きいんだねえ」

「この方がお前の声がよく聞こえるんだよ」

「あれー、ばあちゃんの鼻の穴って、大きいんだねえ」

「この方が嗅ぎタバコを嗅ぐのにいいんだよ、お前」

「あれー、ばあちゃんの口って、大きいんだねえ」

「この方がお前を食べるのにいいんだよ」

 すると女の子は言った。

「あれー、ばあちゃん、あたしおしっこがしたくなった。外へ行かせておくれよ」

「そんなの、ベッドの中でしておしまい」

「イヤだよ、ばあちゃん。外に行きたいよ」

「わかった。だけど、さっさとするんだよ」

狼憑きは女の子が逃げないように足に毛糸をくくりつけると、外へ出してやった。
女の子は外へ出ると、毛糸の端を庭のスモモの木に結んだ。
狼憑きはあんまり時間がかかるのでイライラしてきて
「おまえ、大きい方なのかい。たくさん出しているのかい?」
と聞いた。
返事がないのに気づいた狼憑きはあわててベッドを飛び出したが、女の子はもう逃げてしまっていた。
そこで狼憑きはあとを追いかけたが、すんでのところで女の子は自分の家に逃げ込んで、バタンと戸を閉めた。』

ペロー版赤ずきんとの相違点は何点か有る。
物語の時系列順に重要な相違点を挙げると、先ず少女と祖母を襲う敵が、動物の狼ではなく、ブズー(狼憑き)、つまり人間の男だと言う点である。
日本で言う狐憑きと同じで、常軌を逸した奇行を行う者、つまり狂人や重度の変質者を指す。

この変質者は、道で出会った少女に何らかの欲情を覚えた事により、祖母の家に先回りして祖母を殺害し、遺体を切断、解体する。
そして少女に祖母の肉を食わせ、血液を飲ませるという奇行に及ぶ。

所謂、人肉嗜食(カニバリズム)である。

人が人を食う。
更に、いたいけな少女が大好きなおばあちゃんの肉を食べる。
この民話は異常な迄に残虐性が高い。

この男が少女に対して抱いた欲望が、単にその肉を食べたかったのか、性的欲求も含めた願望だったのかは定かではない。
しかしながら、食べたいだけなら少女が部屋に入った時点で直ぐに襲えば良かった訳で、祖母の血肉を食わせた上で、少女の着衣を1枚ずつ脱がせ、全裸の状態でベッドに誘い込む必要は無い。
また、少女が衣類を1枚ずつ脱ぎ、徐々に裸体を晒していく様はストリップその物である。
故にこれらの描写には、この男の少女に対する性的欲求が読み取れる。
つまりこの民話には『人肉嗜食(カニバリズム)とロリータ・コンプレックス』という2つのフェチズムが内包されている。

エンディングに関しては、祖母は殺害されたままだが、少女は自らの智力で男から逃れ、全裸で逃亡し何とか無事に家に辿り着く。
一見、ペロー版のバッドエンドとグリム版のハッピーエンドの中間だと思えるが、少女が祖母の血肉を食べてしまったという凄惨な事実は消えない。

ペロー版、グリム版の大ヒット以降、様々な形で新たに語られる赤ずきんが伝播し、古い民間伝承が形を変え、或いは忘れ去られて行った歴史がある。
しかしこの『おばあちゃんの話』は原型を留めたまま、語り継がれて来たと言う。

ペローが創作した赤い頭巾というキャラの個性も重要だったのは間違い無いが、この物語が世界的に著名な童話足り得た1番の要因は、元々この民話に内包されていた、残虐性とエロティシズム、そして強烈なパワーとメッセージ性に有るのではないだろうか。