赤ずきんをモチーフにした創造画
赤ずきんをモチーフにした創造画

赤ずきんについて


童話『赤ずきん』は日本のみならず世界中で知られていて、この物語をモチーフにした舞台や映画、漫画やアニメ等、多くの二次創作作品が発表されている。

また、世界的に有名な多くの心理学者が、この作品の世界観に魅了され、心理学的にこの物語を分析した論文も執筆されている。

何故、この作品がここまで多くの人々に愛されるのか?

多くの論者が、童話の原典である民話の中に潜む残虐性やエロティシズムに要因が有ると言う。

現代の我々が知る『赤ずきん』は、1812年、ドイツで初版が作られた『グリム童話』がベースになっていて、それがあまりに有名である為、この物語の原典はドイツの民話だと長らく信じられて来た。
実際にドイツでは赤ずきん発祥の地として重要な観光資源になっている。

ところが実はそうではない。

「筆者であるグリム兄弟が、民話に詳しい女性に取材して聞き取った物語を童話にした」というのが定説だが、最近の研究ではどうやらその定説自体が眉唾くさい、と考えられ始めている。

赤ずきんに類似する物語は、スウェーデンに伝わる『黒い森の乙女』を始め、フランスにも酷似する民話が存在する。
しかし、発祥の地とされるドイツには類似する口承伝承が存在しない。

更に遡れば11世紀のベルギーの詩が原典だとか、中国の伝承が起源だという説まで在るらしいが、そこまで行くと最早、偶然の一致も有り得るし、半ばこじ付けの感も否めない。

赤ずきんに関して、比較的はっきりしている変遷を辿ると、先ず真っ先に『ペロー童話』の『Petit Chaperon rouge(小さな赤い頭巾)』に行き当たる。

この、ペロー童話の赤ずきんは、グリム童話より100年以上前の1697年にフランスで発刊されているので、間違いなくこっちがオリジナルと言える。

その原典はフランスの民話だが、民話の段階では主人公の少女は、トレードマークの赤い頭巾は被っていない。
少女に赤い帽子を被せ、以降数世紀に渡り世界中の人々に愛される『赤い頭巾を被った美少女』という決定的個性を持つキャラクターを形作ったのは、何を隠そうペローなのである。

勿論、原典となる民話からペロー童話への変遷の時点で、赤い頭巾以外にも、細部の描写の変更や、場面の削除、追加は行われているし、これはグリム童話に於いても同様である。

これら物語のディテールの変化は、教育制度やモラルの変化、文明の利器の発達等、各時代に於ける様々な社会情勢が影響していて興味深い。

次項以降では、原典となる民話からペローを経てグリム童話に至るまでの、この物語の変遷を記載して行く事とする。